motoco
Miracles
ACIM(奇跡のコース)とは?

「奇跡講座」「中央アート出版社」より引用
motocoからあなたへ

まず、ACIM(奇跡のコース)を最初読まれたかたは、ビックリする内容だと思います^^
なぜかというと、この世界は夢の世界だと言っています。わたしたちは眠っている状態だと言っています。わたしは最初はこのことについては「ふ~~ん」くらいな感じでした。
このことを信じるとか信じないとかのジャッジはありませんでした。あまりにも突拍子過ぎて、そこに突っ込む言葉もなかったからでしょうね^^
きっとそれは学んでいくにつれてわかってくるんじゃないかなと思いました。
ただ、なぜ、そこから学びが始まったのかということを思い起こすと、それが何なのかを知りたくなったんです。未知への探求をしたくなったんです。もしかしたら、今まで自分が疑問に思っていたことが、わかってくるのかもしれないと。
そして、一年半学んできて、今度は伝えたくなってきたんです。気がついたらわたしの心の中がすごく平和になってきたからなんです。あなたも、もし、このHPから何かを感じてわたしと共に学んでいきたいと思われましたら、ゆっくりとゆっくりと焦らず、学んでいきませんか?
この捉え方をWSやセッションでみなさまと学びながらお伝えしていきます。

by motoco
奇跡講座 まえがき より

「奇跡講座」は、二人の人間が共通の目標のために協力し合おうと、突如、決意したところから始まった。この二人の名前は、ヘレン・シャックマンとウィリアム・セットフォードである。どちらも、ニューヨーク市にあるコロンビア大学医学部医療心理学科の教授であった。彼らが誰であったかは重要ではないが、この出来事は、神によればあらゆることが可能だということを示してはいる。
二人とも霊的なことにはおよそ無縁であった。二人の仲は難しく、時には緊張をはらみ、どちらも個人としても専門家としても名声や地位に関心を抱いていた。概して、この世界の価値観にかなりの執着があった。本書の教えのどの内容もおよそ相容れない生活だったのである。このコースを受信したヘレンは、自分について次のように描写している。
ヘレンの手記は次のように続く。

実際に筆記が始まる前の三か月間は驚くことばかりでした。その間、ビル(註:ウィリアムの愛称)の提案に従って、私は自分が受け取っている非常に象徴的な夢や、奇妙なイメージの描写を書きとめることにしました。そのようにして予期せぬ出来事に慣れてきてはいましたが、「これは奇跡についてのコースである」と書きとめたときは、自分自身びっくりしました。そして、これが、私と声との出会いでした。音は聞こえませんでしたが、それは私の中でかなりの速さで語られる口述のようなもので、私は速記用のノートにそれを書きとりました。筆記作業は自動書記のようなものではなく、いつでも中断でき、また後から続けることができました。
私はひどく落ち着かない気分でしたが、本気でやめようと思ったことは一度もありませんでした。
それを自分の特別な任務として成し遂げることに、私自身がいつかどこかで同意していたような気がしたのです。筆記作業は、真の意味でビルと私の共同事業でした。そしてその意義の大部分はこの協力の中にあったと、私は確信しています。その声が「言った」ことを私が書きとめ、翌日、私の読み上げる内容をビルがタイプしました。彼にとっても、これは特別な任務だったと思います。彼からの励ましと援助がなければ、私は自分の任務を果たすことができなかったでしょう。全部が終了するまで約七年かかりました。
最初に書きとめたのは「テキスト」、次は「受講生のためのワークブック」、最後は「教師のためのマニュアル」です。後からの変更はわずかなものです。各章の題名と副題が「テキスト」に挿入され、最初の頃に出てきた個人的なことへの言及が削除されただけです。それを除けば、筆記原稿は実質的に何も変わっていません。

第一章 奇跡の意味
1.奇跡の原理
1.奇跡に難しさの序列はない。一つの奇跡がもう一つの奇跡よりも「難しい」とか、「大きい」
ということはない。すべての奇跡は同じである。愛はすべて最大限に表現される。
2.このような奇跡そのものは問題ではない。重要なのは奇跡の源だけであり、その源は評価できる範囲をはるかに超えて いる。
3.奇跡は愛の表現として自然に起こる。真の奇跡とは、奇跡を喚起する愛そのものである。この意味において、愛から生じ るものはすべて奇跡である。
4.すべての奇跡は生命(いのち)を意味する。そして神は生命の与え主である。神の声があなたをきわめて具体的に導くであろう。 あなたが知らねばならぬことは、すべて告げられるであろう。
5.奇跡とは習慣であり、意図せずに起こるべきものである。意識的な制御下に置かれるべきものではない。意識的に選択 された奇跡は間違った方向に向けられることがある。
6.奇跡は自然なことである。それが起こらないときは、何か間違いが起こったのである。
